国賊とは

寛仁さま 発言はもう控えては こういう記事を書くやつのことを言うのだ。天皇や皇太子がオフィシャルにいえないからこそ皇族の一人が代弁しているのだ。皇族憎し、日本憎しの極左というより反日マスコミだからこその社説。その社説自体の主張がダブルスタンダードを平気で書いているのがとても笑える。

皇太子妃の雅子さまが体調を崩したときに、私たちは社説で、心のうちを率直に語ったらどうかと主張した。
 しかし、今回の一連の寛仁さまの発言は、皇族として守るべき一線を超えているように思う。

ほうほう。その線引きは誰がどう決めるんだ?朝日新聞社さまが決めるとでも?雅子さんの心のうちと寛仁さんの心のうちの違いはどこだ?

しかし、天皇制をどのようなかたちで続けるかは国の基本にかかわることで、政治とは切り離せない。まして、いまは政府が皇室典範の改正案を出そうとしている時期である。

雅子さんの心のうちだって立派に政治に関わってくることも想定される。「私は男を産まなければならないのですか?自由はないのですか?」そういう意見が彼女から放たれたときそれは立派に政治的意味合いを持ってくる。まさか、女性だから何を言っても黙殺できるという差別的な態度はとらないだろうけどな。寛仁さんが憂えている問題を深く掘り下げず「黙れ」と言ってしまうのは言論弾圧としかいえないぞ。まあ、中国に褒められた新聞社だしな。言論弾圧は空気のように当然。自分たちの主義主張と違う意見は無かったことにできるからねぇ。ジャーナリズムは。
何より「改革バカ」の丸投げコイズミが行きがけの駄賃に皇室典範の改正も含めちまった。改革すべき悪習と誇るべき伝統を一緒くたにして調子のいい「識者」に表面だけの報告書を作らせただけの改革なんぞするべきじゃない。喜ぶのは特定アジアの連中だけだ。
女性天皇が悪いわけではない。「女系」が伝統をぶった切るものだという事実を明確にしなくちゃね。この記事のように本質を伝えず、

国民の意見が分かれている問題では、一方にくみする発言は控えた方がいい。これは皇族も同じである。

と意見をいえない環境を作り出して寛仁さまを孤立化させてしまうジャーナリズムが正しいことなのだろうか。「一方に組する発言を控えたほうがいい」というなら自分から実践するべきだよね。

追記

新聞によく出題されるらしいけど、国語の「敬語の使い方」で誤っている部分を下線で示せという文章にそのまま引用してもいいぐらいの「不敬」な言葉遣いだよね。
「寛仁さま 発言はもう控えては 」→「お控えになられては」
「体調を崩したとき」→「体調を崩されたとき」

わざとやってるとしか思えない。いや、失礼。地だったとは。