南極観測凍結?

 金がないらしい。身を守るためとはいえ、イラク人を殺すかもしれない派兵は出来るのに、人類全体の糧となる地球観測の一環である南極観測には金を出せないというのだ。
 石原都知事みたいに「一年で中国の有人飛行ぐらいは日本でも出来る」みたいな発言を政治家は平気でするが、科学調査とくに自然科学で必要なのは長期的で継続的な観測とデータの集積のはず。一年やめることによってこれまで築き上げてきたものはすべて瓦解するのだ。国際社会のためにという言葉が、自衛隊の派遣やODAにはついて回る。でも、国内でその半分以下の金額しかかからない研究に金を出せないというのはおかしい。南極観測や宇宙技術の開発は国のためだけならず、国際社会のためでもあるのだ。いまどきそんな技術や研究を一国で行うことも、秘匿しておくことも出来ないんだしさ。
 小泉首相首班指名を受けたとき、米百俵の故事を持ち出した。援助を受けた米百俵を食べてしまうのではなく、教育のために使うのだ、というアレだ。が、奴のやっていることは米百票。国の未来を愁いているなんて微塵もない。ヨーロッパでオペラを見るより、南米で感動の嵐を呼んだ米百俵の素人劇を見て自分のすべきことを考えて欲しいね。