延命

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060328-00000123-kyodo-soci
TVニュースでは「同意してません」という家族のドアホン越しのインタビューを流していたが、「同意しました」なんて言えば「人殺し」なんていう誹謗中傷をされるのが目に見えているのでそんなことはとても言えないだろう。実際に家族が死の淵をさまよっている時、そしてそこから回復しても深刻なダメージを受けていることが予想される場合、生きている家族の生活を考えたら、その選択は簡単に「何が何でも生き延びさせて」となるだろうか。家族を「人殺し」と罵る匿名の市民たちは自分がその場に立ったとき恥じることなく延命を申し出ることができるだろうか。
生命の持ち主は誰か。生きる権利と同時に死ぬ権利を持ち合わせているのではないか。生命倫理はどこまでも堂々巡りをする。他人に決める権利はないからだ。明確な点はそこだ。誰かの生命はその本人以外の誰にも左右する権利はない。従って本人が明確に意思表示を行えば尊厳死は認められるべきだと思う。
延命が本当に本人のためになるのかどうか、本人だってわからない。だが、入院が長くなれば家族の負担は増していく。子供たちに余計な手を煩わせるぐらいなら、穏やかに消えていくのも親の愛情だ。その気持ちを受け取った子供たちがどう育ってくれるかを見届けられないことが唯一の心残りだろうけれども。
今回、このニュースで同意したことを表明した家族も困惑したろう。迷ったろう。だが、大きな一歩を踏み出してくれた。
今の日本では尊厳死について触れることはタブーと化している。東大の医局が尊厳死を行った医師を殺人罪で告発するなどの暴挙に出たからに他ならない。強制的に心臓を動かし続け、脳幹に血液を送り込む機械につながれた体を「生きている」とみなすことがどれだけ生命に対して冒涜を犯していることだろう。
クローン人間は倫理的に禁忌となった。しかし、死すべき人体を機械的に動かし続け、「生命だ」と述べることをどの程度違いがあるというのだろうか。

とは言いながら、それもいろんなケースがあって、自分の子供がそういうことになったら、一縷の望みに賭けて延命を願うのは間違いないことだけどな。親としては当然のことだが。
かくしてむちゃくちゃ難しい問題なので、いまさら大騒ぎしてマスゴミが取り上げて県警が殺人罪で検挙するといきまくほどに、「自分だったらどうすんねん」と突っ込みたくなるのだった。