今日の検索「水は何も知らない」

 水の結晶化に言葉の持つエネルギーが干渉していると信じている人は信じるがいい。ただ、それを学校教育に持ち込むな、と言うことだ。道徳教育にこれを利用している教師がいるようで、その場合にも「科学的な実証にはふれないようにする」などという注釈つきでやっているらしい。あー。道徳教育に「おなかを出して寝ていると雷様がお臍を取っていくよ」とか「いい子にしていないとナマハゲがやってきてさらっていくぞ」とかいったことを言い放っちゃうことと同列な気がするんだが。そんな、非科学的なことを学校で道徳と言えども教えてはいけないだろう。いわゆるダブルスタンダードは子供たちに無用な混乱を与える。将来、そんな子供たちが雪の結晶の写真を提示されて「この結晶はなにか」と問われたときに「ありがとうと書いた紙を貼り付けて出来た水の結晶」と回答したら責任取れるのかい(ぉ