アド・アストラ中編

僕は、放浪生活を打ち切った。どうせ、治安の悪化から正規軍に守られた主要航路以外は海賊が闊歩していたから。
どうやら、暗黙の掟があって、僕とラースタチュカに手をだすことは禁忌されていたらしいが、そんなことに甘えているわけにもいかなかった。ことに、再三の警告にも拘らず、勝手についてきた商船が襲われるに至っては。


僕は、土星軌道の士官学校パイロットを養成することになった。
校長は疑い、驚き、歓喜した。それどころか、土星系司令部の司令官の表敬訪問まで受ける始末だ。
だが、そんな晴れがましい扱いも、甘んじて受けた。


一人でも多くの若者たちが生き延びられるために。


小鳥たちは、巣立っていった。僕は、生きて生き延びることを教えられただろうか。
ラースタチュカの高加速用カウチで土星の淡い光を眺めて眠りにつきながら、彼女に問いかけることが増えた。
そのたびに、彼女は微笑んでくれたようだった。


やがて、戦いは終わった。損害だけが増え続け、疲弊した両陣営は版図の維持さえ滞るようになって来たのだ。海賊だけが潤っていた。
いや、海賊だけが力を持っていた。


僕は、ラースタチュカをちょっとだけ改造して、NeGIシステムもアップデートした。エコーがひどくなっていたから。ついでに、ガタがきていたボディも新調した。保険が効かない、パイロット用のアーティフィカルはそれなりに高価だ。だけど、軍は予備役登録になった僕に、最高のアーティフィカルを用意してくれた。「本物そっくり」だ。
僕は固辞して、民間経営の社会復帰促進センターでアーティフィカルボディを更新しようとしたが、結局チャンバーに用意されていたのは同じものだった。挙句の果てに、アーティフィカルテクニシャンまで同じスタッフだったので諦めるしかなかった。チーフテクニシャンに「あなたの名前で申請すると出動要請がかかる」と説明された後では。


そして、僕はまた、飛んだ。


久しぶりに地球へ戻って、小型の高高度旅客機をチャーターして飛んでみた。
蒼穹がこんなに美しいとは。


星々が生まれる星雲も、灼熱のコロナに彩られるホットジュピターの流れる雲も、ブラックホールに飲み込まれる星間ガスが渦巻く降着円盤も、この蒼い空に再び太陽が巡ってくる朝焼けの美しさには及ばない。


歌が聞こえた。


成層圏の静寂にラムジェットの振動だけが伝わってくる。
彼女が歌っていた。あの時と同じように。


僕は、基地を訪ねた。
形はだいぶ変わったけど、基地はまだそこにあった。宇宙港に隣接する基地として。
何も言わずゲートのAI兵士は敬礼をして通してくれた。セキュリティ的にはどうかと思うが。
殆ど歩くまもなく、士官専用車が構内をすっ飛んできて僕の前で止まって、あわてた顔の士官が飛び出してきた。


懇願されて、僕は士官たちに講話をした。あの作戦のこと、宇宙でのこと。
生きること。
記念碑は、永遠に腐食しない合金で基地本部の横にまだ、佇んでいた。
作戦名「ストラトスフィア」
作戦に参加したパイロットたちの一人ひとりの名前が刻まれていた。
一番上には彼女の名前。「燕」の冠が記されていた。
名前に触ると、その顔がホログラムで浮かぶ。タンゴリーダー。タンゴ-02。
最後まで彼女を守って逝った、スワロウテイルライダーたち。国籍も違うパイロットたち。作戦は、成功した。


でも、僕は彼女を地上に無事に帰すことは出来なかった。


あの日の士官食堂での誓いは果たせなかった。
僕は、膝をついて激しく嗚咽した。
見守っていた士官たちは、何を感じただろうか。