勝者には拍手を、敗者にはより大きな拍手を。

 メダルを獲得した勝者の影には敗者が必ずいる。敗者になったものは悔しいだろう。まして、不可解なジャッジの上では。だが、その敗者もそれぞれの環境でできる限りのことをしてきた、オリンピックに参加できた勝者だ。そしてその影にはもっとたくさんの敗者がいる。獲得したその地位は、振り返ってみれば破ってきた者達の努力と涙の結晶でもあるのだ。だから、今は悔しくても、自分のした偉大なこと、他者がしてきた偉大なことの上にメダルが輝いていると感じて欲しい。
 判定を必要とする競技は数多くあるが、判定が不服ならば、判定に頼らない戦い方をすればいいだけ。女子サッカーは、あやふやなオフサイドルールに頼って失敗した。伊調は審判のミスジャッジで金を逃した。むろん、トップアスリート同士の戦いだから、素人が口をはさめるものではないだろう。だが、審判も人であり、何らかの偏向が無いとは限らない。まして、次は北京だ。この間のアジアカップをみてわかるとおり(当分引き合いに出されるんだろうな、あちこちで)審判なんて当てにならないのだ。中立どころか敵にさえなる。ならば、審判に頼らない強さを身に付けるしかないではないか。世界に通じる力を持って始めて微妙な判定に泣かされることに気がついた選手たちは、きっと次には余人が口をはさめないほどの圧倒的な力を持って立ち上がってくるだろう。

とにかく、おめでとう。