殉職

 外交官二人に最敬礼。本当にイラクのために走り回っていたであろう彼らを殺害することが、あの国で破壊活動を繰り広げているテロリストでもレジスタンスでも呼び方はどちらでも良い奴らが信じている神が望んでいることなのだろうか。聖戦を認めた彼らの神は、自分の信徒が自らを爆弾と化して無実の者を巻込んで死んでいくことや、善意で働く者たちを殺すことを望んでいるのだろうか。あの宗教では一日に何度か神に祈ると聞く。その祈りの中で神はそう望んでいるのだろうか。
 今、我々の政府は、自衛隊と言う軍隊を送り込むことに躍起になっている。だが、その軍隊の顔は、復興するべきイラク人に向いていない。アメリカ大統領に向いている。むろん、派遣される自衛官の一人一人は疲弊したイラクの人々を助けるべくじりじりとしているだろう。だが、世界はそう見ない。日本の政府が合衆国の政策に協力しているとしか見ない。それは、派遣される自衛官の命を失わせるには充分な理由となる。
 小泉の政治が上手くいかないのは、理由付けを正しくしないからだ。大局だけを言い放って、細かなフォローが出来ない。バカの壁が存在するようだ。
 この事件で、少しは外務省も本気になって取り組むだろうけど、少しはアメリカの属国じゃないところを見せてみろ。
 それにしてもだ。スペインの情報部員は国葬だった。日本は、外務省と遺族の合同葬程度だ。パフォーマンスとは言わないが、国益と外国の人々のために走り回り、命を落とした二人に最大限の敬意を表するべきだ。彼らの葬儀に、天皇陛下は参列するのだろうか。首相は出席するようだが。それにしても、遺体を成田で迎えたのは千葉県警の儀仗隊だった。文民だから自衛隊の儀仗隊が出迎えるわけにも行かなかったのかもしれないが、ちょっとよろよろしていたのは問題だぞ。っても、警察の儀仗隊じゃしょうがないか。
 それにしても、バーコード付の棺と腹掛け程度の日の丸の情けなさは、マジに涙が出た。海外で殉職する人員の少ない政府ゆえの用意の足りなさなんだろうか。海外と比べるなというかもしれないが、棺を包むような大きな日章旗ぐらい用意しておいてあげて欲しかった。彼らはこの旗の元に命を落としたのだから。
 この後、自衛隊が派遣されればこんなシーンは日常にあふれるかもしれない。小泉を筆頭とする政治家はその日のことを想像したことがあるのだろうか。