ぼかりすについて〜オタの断末魔

http://www.j-cast.com/2008/05/02019791.html

「確かに人間っぽさが出てたけど、それってボーカロイドの良さをスポイルする一面があるし。アニメ美少女が見れると思ったら三次女だった、みたいな」
「無駄な技術だな。人間らしくを追求するなら実際に人間に歌わす。機械的無個性だからこそ初音ミクがウケたんだろ」

オタ涙目。
確かに初音ミクの持つ儚げな弱さとそれに対する音程の確かさのギャップが「萌」なのかもしれないが、作り手のほとんどが初音ミクのキャラクターを利用しながらも、本質的には身の回りに自分の曲を嫌がらずに歌ってくれる(それもイメージ通りに)歌い手がおらず、DTMでのソフトウェアシンセサイザーの一つとして音楽を作り上げて発表したのだ。
人間ぽく歌わせる「調教」がもてはやされる一方で、新技術によるアセンブルだと知ったとたんに掌を返して、機械的無個性を賛美しようとする狭い心。こういうことをいう奴はきっとボーカロイドが出てきたときは「無駄な技術だな、機械に歌なんか歌わせてどうするんだ。人間が歌う歌だからこそ心を打つんだ」なんてことを抜かしていたに違いない。
今の初音ミクというソフトウェアの幻影に夢を抱くのも結構。若いうちは夢があってよろしい。ボーカロイドの良さが機械的なところなんて、ヤマハの開発者が聞いたらがっくりと肩を落としそうな事を言わないでくれよ。チューニングすればここまでできるエンジンの高性能さに驚くべき。ま、萌えちゃう奴らには何も言っても無駄か。
VocaListenerVocaloidの組み合わせは新しい世界を切り開く可能性を秘めているのだ。
研究者の人には、雑音を気にすることなく研究を続けて人を驚かせてほしいものだ。そのほうが世の中楽しいしね。