伝えること

毎度松浦さんのL/D経由で話題の評論
微妙なずれという評価を世の中に受けている日経の科学系の記事だが、事実の把握ということではできてない。詳しくは上記のL/Dに書かれているのでプロの評論家の文章をどうぞ。
L/Dのコメント欄では煽り模様のハンドルがついた反論が書かれているが、いつもの煽りに比べると多少まともなことを書いているので、読まれるとよろしい。つうか、中の人違わないか?(笑)

成功も失敗もあやふやにして逃げを打つようなプロジェクトの進め方は、科学技術への失敗に寛容な風土を築くという点ではマイナスではないか。

清水氏は科学技術の失敗に寛容な風土を望んでいることは読み取れる。科学を伝えてきた身として失敗と成功の二分論に限界を感じているような気がする。だが、これだけ情報公開されたプロジェクトについて「失敗を成功とあやふやにして逃げている」という表現を「今」してしまうのはどうだろう。まだ、「わからない」のだ。わかっていることは、世界最長のイオンエンジン稼動と太陽風にさらされながらも地球スイングバイで目的地へ光学観測誘導で自律飛行し、近接観測を行い、世界で初めて小惑星に着陸して再度離陸した。ここまでのことを成し遂げて、「成功を失敗と取り繕っている」と言うのだろうか。
いや、辛口の意見として、「全体のプロジェクトが成功しなければ失敗」というのも良いだろう。だが、まだ帰還できないわけじゃない。新聞を一字一句手旗信号で各地の印刷所に伝送している状態なのだ。そこで、一文字間違ったからって新聞全体が失敗作というのだろうか。違うよね。
まだ、新聞は配達されていない。そこを間違っちゃいけない。
必死に運用チームは帰還に向けて努力をし続けている。その最中に「失敗だったんじゃないないの?嘘ついちゃいかんよ」という酔っ払いのたわごとみたいな評論はかなり的外れだし、時期はずれだ。帰れるかどうかわからない?いや、事実はイトカワに到達することさえ困難な状態だった。それを運用チームははやぶさの持てる力を振り絞って成し遂げた。そして再び、ガスジェット系のトラブルを抱えたまま、ウルトラC(古)の奥の手を出して帰還させようと想像を絶する努力をしている。それを見守り、その努力を正しく伝えることが「科学技術の失敗に寛容な風土」を築き上げるためにマスコミができることである。ただし、この「失敗に寛容」はちょっと違うと思う。失敗には厳しくていい。ただ、一度の失敗を持ってすべてが終わりのような不見識を戒め、その失敗を次の成功につなげる努力を促進させる気持ちが必要なんだと思う。

今回の取材で松浦氏が実感として感じたこと、的川教授が感じたこと、WEBでの意見。編集委員がそういう流れを汲み取れない硬直化をしてしまっているのではないだろうか。その具現化してしまったのがこの記事なのかもしれない。世の中は、望めばかなり精度の高い生情報が手に入るようになった。もちろん、それの真偽を確信するのはとても難しいことだけど、情報を処理する能力と知識をつけていけばそれなりに真実の姿を覗き見る事は可能になったといえる。裁判所から「不当判決!」と書いて飛び出してくるような情報だけで一般人が判断しなくなってきている。
だが、報道機関だけはその限られた媒体が故に限定された情報を伝えなければならない。メディアが媒体の呪縛にあっているのだ。そして、その媒体で伝えることに特化してしまった今の偉い人たちは、その呪縛から抜け出すのは難しいだろう。むしろ、哀れでさえある。